1. 人間の“話す力”の謎に迫る研究
現生人類(ホモ・サピエンス)は複雑な話し言葉を操る能力を持ち、この力が人類の繁栄に大きく貢献してきました。
しかし、「なぜ人間だけが高度な言語を持てたのか?」という問いには、まだ多くの謎が残されています。
アメリカ・ロックフェラー大学の研究チームは、ホモ・サピエンスだけが持つ遺伝子変異をマウスに導入する実験を実施。その結果、マウスの鳴き声パターンに変化が現れ、この遺伝子が言語進化に関わった可能性が示唆されました。

2. 言語と遺伝子の関係:FOXP2からNOVA1へ
これまでの研究では、FOXP2遺伝子が言語能力に関与していることが知られていました。
FOXP2の変異は深刻な言語障害を引き起こし、人間特有の進化の痕跡が確認されています。しかし、この遺伝子変異はネアンデルタール人にも存在しており、「言語能力の決定因子ではない可能性」も指摘されています。
近年、新たな候補として浮上したのがNOVA1遺伝子です。
- 脳の発達や神経筋制御に関与するRNA結合タンパク質を生成
- 哺乳類から鳥類まで広く存在
- ホモ・サピエンスだけが特殊なアミノ酸変異を持つ
- ネアンデルタール人・デニソワ人には存在しない
この独自変異こそが、人類のコミュニケーション能力を進化させた可能性があると考えられています。

3. 🧪 CRISPRを用いた“ヒト化マウス”実験
田島陽子博士率いる研究チームは、遺伝子編集技術CRISPR-Cas9を用いて、マウスのNOVA1遺伝子を人間型(突然変異型)に置き換えました。
続いて、中脳を精密分析し、NOVA1タンパク質がどのRNAに結合しているかを調べました。
結果は興味深いものでした。
- 運動制御や神経発達に関わるRNA結合には大きな影響なし
- 発声関連のRNA結合に変化が確認
- 発声に関わる遺伝子の多くがNOVA1の結合標的であることが判明
これにより、NOVA1が発声や音声コミュニケーションに関与することが強く示唆されました。

4. 鳴き声の変化:高周波化と求愛パターン
数年にわたる観察の結果、人間型NOVA1を持つマウスの鳴き声は以下のように変化しました。
- 幼体マウス:普通のマウスより高周波の鳴き声を発する
- 成体オス:求愛時に高周波の鳴き声を出す頻度が増加
- 鳴き声の変化により、社会的な相互作用の試みが増加した可能性
興味深いのは、鳴き声が変化しても母マウスの子への注意行動は変わらなかった点です。
これは発声パターンの進化が、必ずしも即座に育児行動に影響しないことを示しています。

5. 🔍 言語進化とNOVA1の位置づけ
ロバート・ダーネル教授(ロックフェラー大学)はこう述べています。
「NOVA1は初期のホモ・サピエンスにおける進化的変化の一部であり、話し言葉の古代的起源に関わった可能性があります。」
今後の研究では、NOVA1がどのように言語機能を制御するのか、またその誤作動が発達障害や言語障害にどう結びつくのかを解明する予定です。
6. 今回の研究の意義と今後の展望
この発見は、言語の進化を遺伝子レベルで解明する手がかりとなります。
NOVA1は単なる発声の変化だけでなく、脳の言語ネットワーク形成の進化的起点だった可能性があります。
今後の焦点は以下の点にあります。
- NOVA1の変異が人間の発声器官と脳回路に与えた具体的影響
- 他の遺伝子(FOXP2など)との相互作用
- 言語障害の診断・治療への応用可能性
まとめ
人類だけが持つNOVA1の遺伝子変異は、私たちの祖先に特有の発声パターンやコミュニケーション能力をもたらした可能性があります。
マウス実験での鳴き声変化は、言語の進化を探る上で重要な一歩です。
この小さな分子の変化が、人類の歴史を大きく変えたかもしれない――そう考えると、進化の神秘と科学の力の両方に驚かされます。
コメント